2010年12月04日

してあげられる幸せ。

DSC_0011.JPG
ラベンダー(←だと思い込んでるけど違ってたりして)って、師走に咲く花でしたっけ?
 
 
 
久々にカメラのシャッターを切りました。
毎日何かしらを撮っていたのだけど、そんな気力がなくなっていました。
絶対には母が戻る日まで、何一つ変えずに全てをやりきろうと思っていたのですが、ここ1週間は心が折れました。




昨日、やっと母の左手が動きました。



異変に気がつき、寝てる母を叩き起こして診療時間外の病院へ連れ込んだのが11月11日お昼すぎ。
簡単な問診の後レントゲンを撮る。しばらくすると「今度はCT」「胸のレントゲン」なんだかんだと追加の検査が続々と。
一度にすりゃいいのに、と思っていると検査中の母を待ち合いで待っていたアタシだけ診察室に呼ばれた。
いきなりの告知。そして「ご本人には告知しますか?」と。
日頃から決断力はあると自負してるアタシでもさすがに戸惑った。こんな重要な決断を、今、アタシ一人でしなければいけないのか?と。
でも状況は待ったなし。

慌ただしく母の腕には点滴がつけられ、さらにMRIや入院手続きをし、「では病室へご案内します」という看護士について母と歩いて病室へ。母が看護士と二人でドアをくぐる。続こうとすると別の看護士に止められた。「ご家族の方はこちらでお待ちください」閉められたドアには『NCU(集中治療室)』と書かれていた。体が震えだし、一気に涙が溢れた。


集中治療室には私物がほとんど持ち込めない。ただ寝ているだけだと退屈だろうからとiPodと読みかけの小説の持ち込みを申請した。肌が弱いからと普段使っている石けんや化粧水も。全て却下。無理矢理本1冊だけ持ち込んだ。
今、母のために何もしてあげられないことが一番悲しかった。
 
 
入院後、次の日には左手が動かなくなった。その次の日には左足が動かなくなった。言葉がうまく話せなくなり、表情が乏しくなり感情がなくなった。急激な悪化に週明けに緊急手術となる。夕方5時に始まった手術は日付が変わって深夜1時過ぎまでかかった。
術後、意識は回復したものの目を開けない、話せない、左の手足は動かないなど予断は許さない状態が何日も続く。



そんな母の左手が術後3週間経った昨日、やっと動いた。
目を開けたのは3日後。声が出たのが5日後。その後少しずつ言葉が戻りだし、今週になって左足が少し動くようになった。
左手は主治医からも「戻らないかも」と言われていた。
まだ言葉は完全に戻っていない。でも意思の疎通がはかれるようになった。一人で体を起こせるようになった。
完全回復をゴールとするならば、まだスタートから数歩という段階。でも


「みかんが食べたいの」「寒いからトレーナーを持ってきて」と徐々にわがままが言えるようになった。

そんな些細なことだけど、母のために何かしてあげられることを、本当に幸せに思う。
だって、一時は手を握ることしかできなかったんだから。
posted by ハト。 at 11:23| Comment(5) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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